レコードで破産寸前、今度はスコットランド人に賭けてみた。

さてさて。

Joe Davisのお宅訪問という、僕のレコード人生において忘れられない一大イベントを終えた。

素晴らしいレコードを手に入れた。

素晴らしい音楽にも出会えた。

そして、素晴らしい勢いでお金がなくなった。

……。

やばい。

このままでは、ロンドンに来て早々に破産してしまうではないか。

まだ来て間もないというのに。

ロンドンには行きたい場所が山ほどある。聴きたい音楽も、会ってみたい人も、掘りたいレコードも、それこそ無限にある。

しかし、財布の中身は有限だ。

しかも、かなり小さな有限である。

19歳の僕は、ここに来て資本主義の厳しさを痛感していた。

時間はある。夢もある。金だけがない。

なんとも見事な三拍子だ。

そんなことを考えながら、Earls Courtの街をブラブラしていた時のこと。

ふと思い出した。

「あっ! そうや。まだ頼まれてたことがあった!」

実は日本を出発する前、アルバイト先で懇意にしていただいていたバーのオーナーから、あるお願いをされていたのだ。

「これだけお金を渡すから、向こうでシングルモルトを買ってきてくれへん?」

シングルモルト。

もちろん名前くらいは聞いたことがある。

しかし当時の僕にとって、お酒といえばビールかカクテル。ましてやウイスキーの産地や蒸留所の違いなんて、まるでわからない。

スコットランド?

ハイランド?

スペイサイド?

何ですか、それ。地下鉄の駅名ですか?

そんなレベルである。

とはいえ、せっかく頼まれたのだから、何とか探してみたい。

しかし、ここでひとつ問題がある。

シングルモルトって、いったいどこに売ってるんだ?

今ならスマートフォンで検索すれば数秒で答えが出る。

でも、当時はそんな便利なものはない。

頼りになるのは、自分の足と、拙い英語と、ほんの少しの度胸だけ。

まあ、考えていても仕方ない。

とりあえず酒屋に入って聞いてみよう。

これぞ昭和の営業スタイル。

わからなければ、とりあえず現場へ行け!

というわけで、街角にあった何の変哲もない酒屋に入ってみることにした。

店内にはワインのボトルがずらり。

赤、白、ロゼ。

ラベルには知らない地名や銘柄が並んでいる。

見たところ、ウイスキー専門店という雰囲気ではない。

どちらかといえば、近所の人が夕食用のワインを買いに来るような、ごく普通のお店だ。

まあ、いいか。

「あのー、すいませーん。ハロー?」

店の奥から男が顔を出す。

「Hey! なんだい?」

「あのさ、実は日本の友達から頼まれてて、シングルモルトを探してるんだけど……。たくさん売ってる店とか知らない?」

もちろん、実際にはもっとたどたどしい英語だったと思う。

頭の中では完璧な英文ができているのに、口から出る頃には半分くらい消えてしまう。

そんな19歳の英会話である。

ところが。

その男、僕の話を聞いた途端、目を輝かせた。

「Ohhhhh!!」

え?

何?

そんなに驚くこと言った?

「お前、めちゃくちゃラッキーだぞ!」

は?

「実は俺、スコットランド出身なんだ!」

おお。

「しかも、シングルモルトが大好きなんだよ!」

おおお!

なんという偶然。

ロンドンの何の変哲もない酒屋に入ったら、そこにスコットランド出身のウイスキー好きがいた。

レコードを探してJoe Davisに出会った時も思ったけれど、この街、どうなってるんだ。

すると彼は、さらに勢いよく話し始めた。

「予算はいくらだ?」

「これくらいなんだけど……」

「よし! わかった!」

何がわかったのか、こちらにはまだわからない。

「俺に少し時間をくれ!」

ん?

「4日……いや、1週間だ!」

い、1週間?

「その予算で最高のシングルモルトを揃えてやる!」

……。

え?

そんなことある?

「俺に任せとけ!」

いやいやいや。

ちょっと待ってくれ。

僕はただ、シングルモルトをたくさん売っている店を聞きに来ただけなんですけど。

それがいつの間にか、見知らぬスコットランド人による特別買い付けプロジェクトに発展している。

しかも、やたらと自信満々だ。

まるで映画に出てくる、腕利きの調達屋みたいではないか。

「一週間後に来い。きっと満足するぜ!」

そこまで言われると、こちらも悪い気はしない。

というか、むしろワクワクしてきた。

「オッケー! じゃあ君に任せるよ!」

こうして、あっさり商談成立。

いや、商談と呼んでいいのかどうかも怪しい。

名前もろくに知らないスコットランド人に、ウイスキー探しをお願いすることになった。

店を出ると、いつものロンドンの街並みが広がっていた。

赤いバスが走り、車が行き交い、通りにはいろんな国の言葉が飛び交っている。

いやあ、面白い街だ。

こんな偶然があるんやなあ。

……。

しかし。

歩きながら、ふと冷静になる。

ほんまに大丈夫なんか、これ?

思い返せば、ロンドンに来てからというもの、こちらの常識が通用しないことばかりだ。

Joe Davisなんて「ちょっと待っといて」が、平気で2時間になる。

日本で「5分待って」と言われたら、まあ10分くらいだろう。

でもJoeの場合は違う。

5分が30分になり、30分が1時間になり、気がつけば昼寝まで始まる。

もはや時間という概念が別物なのだ。

そんな経験をしたばかりの僕である。

「1週間後に用意しとくぜ!」

という言葉を、そのまま信じていいものだろうか。

1週間が2週間になるのか。

それとも、次に行ったら本人がいなくなっているのか。

はたまた、

「おお、カミーヤ! 何の話だったっけ?」

なんて言われるのか。

十分あり得る。

というか、今のところ何が起きても驚かない自信がある。

ただ、不思議と嫌な気持ちはしなかった。

考えてみれば、ロンドンに来てからの僕は、ずっとこんな調子なのだ。

知らない人に声をかける。

知らない音楽を教えてもらう。

知らない場所に連れて行ってもらう。

そして、気づけば想像もしていなかった世界にたどり着いている。

日本では知らないことを少し恥ずかしく思っていたけれど、この街では「知らない」と言うたびに、誰かが新しい扉を開けてくれる。

今回だってそうだ。

シングルモルトがどこで買えるのか聞いただけなのに、スコットランド人のウイスキー愛に火をつけてしまった。

まあ、結果がどうなるかはわからない。

でも、こんな偶然も旅の醍醐味というやつだろう。

よし。とりあえず1週間、信じてみよう。

そう自分に言い聞かせながら、僕は酒屋を後にした。

それにしても。

レコードを探しにロンドンへ来たはずなのに、今度はウイスキー探しか。

財布は軽いままだが、どうやらこの街では退屈する暇だけはなさそうだ。

さてさて。

1週間後、あのスコットランド人は本当に約束を覚えているのだろうか。

それはまた、次のお話。