マルコス・ヴァーリが電話の向こうにいたという事実にまだ頭がついていかない。
勝手に南米の風景を重ねてしまい、
彼がコパカバーナの白い砂浜でサンダル脱いで電話してる姿まで想像してしまった。
「今日オリジナル盤あったらいくらするんだろ?」とか、
失礼なくらいに騒々しく妄想が駆け巡る。
そんな脳内ブラジル旅行をしていると、
「カミーヤさん、やっと終わったから時間だぜ!」
待ちに待った Joe の一声が飛んできた。
おお…ついにレコードの世界へ突入だ。
しかし事務所を見渡すと、レコードらしきものが一枚もない。
「これ、どこにレコードあるんだ?」
疑問が喉まで出かけた瞬間、Joe が言った。
「うちにあるから見に行くぜ! さあ、車に乗った乗った!」
まさかの展開すぎる。
いや、もはや“ぶっ飛んだ”しか言いようがない。
当時、世界のブラジル音楽シーンの中心人物の家に行けるなんて、
19歳の僕には宝くじより現実味がない幸運だった。
車の中でも Joe はよく喋る。
「いつもヨシにはタイガーバームを買ってきてもらってるんだよ」
え?
ヨシ?
タイガーバーム?
「沖野さんのことだよ。日本のタイガーバームはマイルドで最高なんだ。
これなしでは生きられないね」
世界的ブラジル音楽のキーマンが、タイガーバームにここまで熱を語るとは思わなかった。
そんな他愛もない会話をしながら、車は静かに住宅街へ入っていく。
ほどなくして Joe の家に到着。
「これが我が家だ!」
普通に、本当に家だった。
奥にはママがいて、ブラザーもいて、
完全なる“家族の日常空間”が広がっている。
その中を抜け、案内された部屋の扉が開いた瞬間——
息が止まった。
ぎっしりと詰まったレコード。
しかも、ただのコレクションじゃない。
どれもこれも、ほぼレア盤。
レアのレベルが違う。
…ここは天国か地獄か。
当時の僕の財布事情を考えると、
“地獄”の方が正確かもしれない。
「ヤバい。これ聞いたら絶対買ってしまうやつやん…」
チャンスとピンチが同時に僕の背中をつかんで揺らしてくる。
19歳、ロンドン、Joe Davis の家。
世界が急に手を伸ばしてきたような、そんな瞬間だった。
