インド人にとってのチャイ、僕にとってのチャイ。

インドの朝はチャイで始まる

そんな格言があるかどうかは不明だが、19歳の僕はインドにいた。2週間のバックパックである。初めての海外はイギリスかインドと決めていた。そこに深い意味はない、ただの少年のいちびりな感情だろうと今となっては思うばかりだ。インドにつくなり空港タクシーにぼったくられてホテルに着いた僕は打ちひしがれていた。こっぴどく。もう明日にでも帰りたいと思った。

翌朝になると何事もなかった様にチャイの匂いが鼻をくすぐる。日本でもインド料理が好きだったので嫌な気持ちなどもすぐに忘れチャイの方にフラフラと惹きつけられいくと朝食にチャイが用意されており、あぁインドにいるんだと実感した。

実際にチャイはあらゆるところで売られており、料理店はもちろんのこと駅構内でも電車の乗り継ぎ時間に窓の外からチャイを売りに来ていた。デリーから移動のために電車を乗り継いでいた僕は一人列車に乗っていた。

ぼったくられた事により僕の警戒心は最高潮の状態だった。携帯電話なら電波がビンビンに立ってる状態だ。乗り継ぎで売りに来るチャイを横目で見ながら電車の椅子に座っていた。ただ呆然と。目の前の青年がそんな青臭い少年をみかねて窓の外の売り子からチャイをご馳走してくれた。

レンガのグラスに注がれたチャイを青年と乾杯し、早速口に運んでみた。それは美味しくコクも甘味もあり列車の旅に疲れた体を十分に癒してくれた、そしてご馳走してくれた青年にインドの国土と同じくらい広い包容感を感じた。

量的には200ミリ程度の小さい器だったと思ってるのだけど、今となっては定かではない。そんなレンガのグラスが非常に可愛く持って帰ろうかと思案していたところ、目の前の青年は窓の外に向かってレンガのグラスを放り投げた!

あっと思った刹那に青年と目があった。青年は「自然に帰るから外に捨てても大丈夫なんだ」と言わんばかりの雰囲気を醸し出しウィンクをした。郷に入っては郷に従えと思い、先ほどまで持ち帰ろうとしてた可愛いレンガのグラスをヒョイっと窓の外に放り投げた。

日本では決してしてはいけない電車の窓からの不法投棄に得も言えない高揚感を覚えつつ、その青年と少し距離が近づいたと感じた思い出話である。

 

そんなチャイとの思い出を思い出しながら本日チャイについて調べてみた。

すると「チャイはインドの大切な家庭の味」ということだそう。日本におけるお味噌汁と同義語、各家庭にそれぞれの味とスパイスの配分があり、よそのお家にお邪魔した際にチャイの味を誉めると喜ばれるとの事。

そうかチャイは無限なのだ。

あれだけ広い国土で北から南まで同じ味な訳はなく、私が味わったデリー周辺のチャイと南のボンベイでは全く味も違うであろう、またイギリス領であった事もあり紅茶の農園が広がったのだが、その農園で取れる茶葉も地域によってそれぞれの味があると思う。

 

寛容で包容力のある飲み物がチャイ。

まるで私が電車でご馳走してもらった青年の心の広さの様だ。

そうか青年はインドでありチャイなのだ。

チャイが青年を形成し、インドを形成しているのだ。

 

そんな宇宙的な妄想が広がるドリンク、チャイを少しでもご紹介できればと思い今回はチャイの特集を組ませて頂いた。

チャイで形成された(かどうかは不明だが)テジャスさんが作ったMASTI CHAIはチャイ特有のスパイス感を含ませたインドの味を再現している。

味わいはプレーンチャイとマサラチャイの2種類、しっかりとした土台があるのでミルクで5倍に希釈しても薄くならず香り高い濃厚なチャイに仕上がる。

昨今スパイスも少しづつ値上がりしており一からチャイを作ると結構な手間と費用がかかる。もちろんそうやって作る「我が家のチャイ」は素晴らしいのだが、お気軽に楽しめるチャイもあって良いと思う。

我が家でもあのインドのレンガのグラスを思い出しながらMASTI CHAIを楽しんでいる。若くてほろ苦かったインドの電車旅行、今となっては連絡先も名前もわからなくなってしまったあの青年。20年以上前の自分にふと帰らせてくれる飲み物。僕にとってはそれがチャイなのかもしれない。

そして飲み干したグラスを我が家の窓の外に向かって・・・
とはいかないが、あのグラスの様に潔くも儚い人生を送ろうと心に決めた。

 

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